そうだったのか、長谷堂合戦

することもない雨の日。

録画しておいたNHK歴史番組をみる。

最近の番組は飽きさせない。

ドラマ仕立てにしたり、ゲームクリエイター出てきたり

いろいろな解釈があっておもしろい。

 

関ヶ原の話に、長谷堂合戦の話も出てきて、

へー、なるほどー、と頷くことしきり。

 

いつの世も駆け引き、裏切り、運。

そして、あの時代でさえ、情報戦というから

尚さらにおもしろかった。

 

〜そうだったのか長谷堂合戦〜
石田西軍と家康東軍との戦いが幕を開いた。
上杉と伊達は協力して、東から関東を勢め、

その戦いに西から石田らもせめることで家康をうちまかそうとした。

石田がそう上杉らに頼んでいた。

しかし家康の家臣福島政則らが石田をせめ勝利、
あくまで西軍側の上杉は関東に攻め入り豊臣側である。
それを前提に、山形を掌中にするため山形長谷堂城にて合戦となる。


しかし、味方だと思っていた伊達が最上に加勢した。
伊達は家康と通じており、家康に鞍替えした。

家康は、味方になり勝利すれば山形、福島など領地を差し上げると約束して

伊達を味方につけた。

伊達を味方につけた最上義光と戦っても
長谷堂合戦で負けると踏んだ直江兼続ら上杉はやむなく撤退。

 

結局、関ヶ原で家康が勝ち、西軍側だった上杉は新潟や会津の領地を取り上げられて、

雪国米沢のみが残された。

 

あんなところでどうやって戦ったのか、

想像すらできない。