愛読している方のブログ画像に羽子板が飾ってあるのを見つけた。
そういえば、今年、羽子板を床間に飾ることさえ忘れていた。
思い起こせば、あるある、羽子板の思い出。
わたし⬇️
お正月ではなくて稲荷神社の祭礼の時に毎年晴れ着を着せてもらったような気がする。
母の実家が染め物兼呉服屋だったのでよく着物を着せてもらった。
必須アイテムは羽子板だった。
羽子板は、誰が買ってくれたのか。?
ガラスのケースに入って床間に常設だったような、違うような。
いつのまにか無くなった。
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ついでに晴れ着の思い出は、幼稚園時代。
諏訪神社が経営する幼稚園だったのでクリスマスの記憶はないが
七五三はかなり盛大に開催されたような。
全員が十二単の簡易版みたいなのを着て、飴をもって、冠を被っての記念写真。
人柄が出ているわたし。
冠と飴がかなり曲がっている。
この後、性格も人生も、かくが如く曲がってしまった。
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わたしが成人したころ、母が羽子板作り教室に通って羽子板を作ってきた。
かなり大きくて、完成後、母は自慢げに見せてくれてような。
その後、母手作りの羽子板はわたしの娘達の晴れ着を飾った。
そしてこの羽子板は大き過ぎたゆえ、実家の遺品整理の際
困ったちゃんになってしまう。
絶対捨てられないからと、わが家に持ってきて、正月のたびに飾ったが
いつのまにか押入れの片隅に追いやられた。
実家からの、物、もの、で溢れた我が家の押し入れを整理する年齢になったわたしは
母の羽子板を
思い切って、メルカリに出品した。おかげさまですぐに買い手がついて
「大事に使わせていただきます」と言うコメントとともに
わたしの元から旅立った羽子板。
女児の孫ができるまで保管していたらいいのに、と言う人もいた。
女の子の孫ができる? いつ?
結婚はしないのか!早く結婚して!、孫の顔が早く見たい!
こんな失礼なことは我が娘に絶対に言わない。
結婚しないとダメ、とか、子供を産まないとダメ、とか
そんな考え方が長い長い時代にわたって私たち女性を苦しめてきたんだから。
そうこうしているうちに、ナチュラルに女児孫が産まれていた。
孫の母親から、
「わたしの時のように羽子板が欲しい」と言われた。
メルカリに行っちまった〜
ということで、板から糸鋸でカットして塗って、磨いて
自分の和装用に使っていた紐やら
何やら組み合わせ、ホットボンドでくっつけて
小さな羽子板を作った。⬇️
これなら収納場所も取らないし、いいかな。
相撲部屋からきたような顔の孫の後ろで、彼女の人生の多幸を見守りたい自作羽子板。